入試改革についての日経記事感想

記事論旨1

 共通一次試験の改革において、高い理念と入試の技術論が空しく衝突し、①「受験秀才」に代わる人材の育成、②全入時代に学力試験を経ない進学者が増えることで大学入試による教育の質の担保能力の低下、の2点の課題は正面から取り組まれなかった。結果、推進・反対の垣根を越えて「中途半端な内容」と評価されている。入試時期をずらすなど、現行の枠組みを変える抜本的な改革が望まれる。小手先の改革の被害は子どもたちが受ける。

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www.nikkei.com

感想1

 1点を争う共通試験をアルバイトに採点させる仕組みに非難が集まった。1点刻みで機械的に評価されるよりも、記述式や人間性を重視すべきだという反論にも、採点者の裁量で人生がされる方が嫌だ、というさらなる意見がついた。確かに、共通試験の影響力が落ちて、一般大学が自己裁量で採点するようにしたら不公正の温床になるだろう。一芸を持っている者を評価する仕組みが悪用される大規模な例は隣国に見ることができる。

gigazine.net

 共通試験の枠組みは、より低コストに、より信頼性の低いものになっていることは間違いないが、記述式の採点者が無作為に選ばれたアルバイトであるならば、共通試験そのものの仕組みが、不正につながることはなさそうだ。受験生の視点では、アルバイトにも読める字で書き、誤解の少ない表現を選ぶ工夫が求められる。明らかに採点者のケアレスミスや無知による減点については、その数点が多くの受験生に損害を出したならば、採点請負業者や国に対する集団訴訟を起こさねばなるまい。そうなったら、教育で商売をするなかでガメたツケ、国策で教育に出す金をケチったツケは払ってもらうことになる。

 しかし、そのような信頼性の低い1次試験は、2次試験に対して低い割合でしか評価されなくなるだろう。2次試験を取り逃した人が、どこまで1次試験による影響で不合格になったと主張できるかは、その採点配分の変動幅による。例えば足切りのラインを下げ、ミスによる数点を含めても基準に届かなかったら、切られた側は文句を言えない可能性がある(間違って加点された者が出るのならば話は別だが、そういった採点ミスは間違って減点されるより露呈することは少ないだろう)。各大学が1次共通試験は十分に緩い基準に使い、2次試験で厳格に評価するならば、裁判でどこまで勝てるかは怪しくなってくる。

追記:教育制度改革批判の上では、英語民間試験の顛末の考慮は必要。新しい教育制度を民間に任せるのは、十分な利得が得られず、制度設計するモチベーションや体力が公共セクターにないからだと思うが、英語は特に試験制度が整っていないのは、英語の運用能力認定試験は高校大学の教育を超えた一大産業になっていて、それらの関係有識者が学校教育とのギャップを埋めきれなかったからなのだろうか。

 

 細かいところで、「人工知能(AI)や第4次産業革命ソサエティー5.0などに象徴される21世紀型社会では、明治以来の「受験秀才」に代わる新たな人材の育成が求められている」という表現は、象徴する単語三つについて、真ん中の単語だけで残りの二つを包括しているんじゃ、と思ったが、考える力に対置する意味でAIを挙げており、国が何をモチーフに改革をしたかを示すためにソサエティー5.0を挙げたのだろうと思いなおし、納得した。

 また、ソサエティー5.0は狩猟(1.0)、農耕(2.0)、工業(3.0)…という社会の変化を前提に5.0と言っているのが暴論だとの批判があるが、些末だ。むしろ、目にした者にコンセプトとしてわかりやすく映る工夫として、もう少しシンプルなイラスト(ピクトグラム?)で示してはどうだったろうと思う。

 以下の埋め込みリンクの絵は、今から説明を聞かないとわからない絵であるし、リンクを開いた最初に表示される女子高生がドローンに手を伸ばしている絵はドローンのインパクトが強すぎてロボットやAIやIoTの象徴でもある(たぶん)ことに一見して気が付かないのが惜しいし、下にスクロールして出るSociety5.0の概念図はスマホとかの狭い画面に表示させるには欲張りすぎている。www.gov-online.go.jp

 その点ドイツのインダストリー4.0の資料は見る者にコンマ数秒~数秒で概念が伝わる絵だと思う。

(ドイツのインダストリー4.0の説明)

https://www.gtai.de/GTAI/Navigation/EN/Invest/Industries/Industrie-4-0/Industrie-4-0/industrie-4-0-what-is-it.html

Wikipediaの絵も出どころは知らないがわかりやすい)

ja.wikipedia.org

 

記事論旨2

 グローバル化やAIの発達など社会と経済が激変する中で、経済界は入試や高校・大学の教育に望むのは、情報系の素養や外国語力だけでなく、もっと広く、基礎的なものを考える能力や知識、いわゆるリベラルアーツ(教養)である。

www.nikkei.com

感想2

 経済・産業界が望む「考える力のある学生」を育てる理念自体は、AIをはじめとした情報技術をどう操るか、どういう枠組みに位置づけるか、という今後の人間の役割から言って別におかしくない。しかし「考える力」などという漠然とした才能は考えた結果生み出されたものからしか評価することができない。そんな漠然とした能力を誰も確実に伸ばすことができない。

 文理を超えた幅広い教養(リベラルアーツ)などはもう少し評価しやすいのではないかと思う。例えば、ハードサイエンスの素養がある、国外の多様な社会通念を知っている、芸術の歴史的経緯やら流行やらを説明できるなどすれば、広く世界のビジネスやらコミュニケーションやらに確かにつながりうるだろう。

 とはいえ、大学教官の多くは一部の学生たちを学問の深みに誘うことができても、自分の専攻する学問全体を広く学生たちに啓蒙することは、一握りにしかできないだろう。大学全入時代に、すべての大学教員が純粋に学問を追求する姿勢を守ることを、経済・産業界は許さなくなってしまったし、経済・産業界が衰退すればゆくゆくは学界に還流する資金も減るだろう。いまの制度で大学生に幅広く教養教育を学ばせることができないなら、特にそれができていない大学が改革の犠牲になることは、免れがたい。1の記事で共通1次試験の改革が中途半端になったことについては、文科省が声をかけなかった専門家が入試改革に入っても、抜本的なところでは誰かが反対して、中途半端にはなったのではないかと思う。教養教育の重視に関しても、制度的な改革圧力が高まるものと思う。

 経済・産業界でリベラルアーツを提唱している人たちも、どれほどリベラルアーツを知っているのか、ということも同時に言える。誰もがお前がやれよと言える。しかし、別に誰もわかっていなくても、理念として大事だというコンセンサスを取って、わからないなりにやっていったほうがいいと思う。

 国としては、若者がイノベーションを起こさなくて困ったら、高校・大学の教育制度を変えて、「考える力」やら小論文やら専門技術やらで一芸を重視する大学を多用につくって、その中で多様な人材が現れるのを祈るしかやることがないかもしれない。高邁な理念ばかりでバカには教えられないとは考えず、制度に組み込んで、うまくいったら出藍の誉れを皆で祝えばいい。

 

追記2:私は全ての大学が研究機関としての役割を捨て去るべきだとは思わない。副専攻の教養コースの比重を大学ごとに検討して、単位の互換ができる部分、できない部分を持たして、それでも研究の人材は確保しうる。しかしその両立は国が金の拠出を増やし、①今の教官たちの時間を捻出し、②教養科目に当たる研究者を増やさないといけない。

 一部のすでに取り組んでいる大学も手一杯であろうし、手厚い教育のできていない大学はさらなる破綻につながる。国は人材をくれくれ言っている経団連基金作らせて金をせしめるなりすべきだ。国が出すべき金については大学法人ももう少し徒党を組んだらどうか。これも儲からないとモチベーションがないだろうか。またもや大学の教育界に業者がやってきて、大学が外注する形で、人力かAIか知らん作文やらテストの採点、ビデオ講義、e-learningの作成支援バイトなどが普及するだろうか? はたまた、根本的な大学制度の改革が先か。

自死の美学に関する作品

 

ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29

ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29

 


村上春樹さんが掲載作品を解説している。

忠誠に関する作品としてジェイルービンが挙げた鷗外の『興津弥五右衛門の遺書』は漱石の『こころ』と並んで、明治天皇崩御に合わせて乃木希典が自刃したことを契機に書かれたことが紹介されていた。もう一つ、三島由紀夫の『憂国』も挙がっているが、こちらは切腹を美しく書いているらしい。村上春樹さんは三島が実際に切腹した報道に接したとき、文学として美しく書くこととは違って理解できないことに気がついた、ということを述べられていた。

この一節を読んで、少しすっきりした。『金閣寺』を昔読んで、金閣寺と炎がそれぞれ綺麗だというのはわかる、金閣寺が燃えたらもっと綺麗だというのはわかるが、それを実際にやってしまう気持ちは分からなかったが、その反応でもよかったのだな、と。

趣味の読書のフィードバックの深さと多様さ

 

 (趣味としての)読書は、想起されることに価値があるとある知人が言った。彼の議論によると、読んだ本を通じて感じたことを共有するプラットフォームがあれば、今ニュースサイトを流し読みしている人たちや、漫画アプリ愛好者などの可処分時間を、読書を通じたコミュニケーションに差し向けることができる。
 私は彼の意見に同意する。本を通じたコミュニケーションが行われる形はどうあれ、読書を通じて何も考えないならば、彼らのコミュニティで通用するニュースサイトやまとめサイトでも読んでおけばよい。彼はほかに、流行している本についてはより注目が集まるようなメカニズムを提案していたが、互いに興味の持ちそうな、目に入るものを絞ることができることは効率がいい。昨日見たテレビを話すほどではないが、共通の分野の本を読んでいる人同士の読書は共通点を持ちやすくなるだろう。少数の人だけが読んでいる本についても、Amazonのように「この本を読んだ人はこんな本も読んでいます」と、他者の読書に繋がりそうだ。
 ただ、コミュニケーションの手段としての読書は、消閑の具、浅薄なものに終始してしまいそうだ。話題だったからといって読んでも、読んだ当人が作品の外へ向けた感想を持たなければ、次の読書やそれ以外の行動に繋がらず、一過性の話題、短い流行になりかねない。きちんと筋を追ったり、映像を想像したり、分からなかったところを遡って行間を読み込んでいると、一人でいる時間は結構長い。ニュースや漫画に比べて、そこから拾い上げることのできる情報は、時間対の量で考えると、少ないし、そもそも言葉を尽くしても相手に伝わりづらい、重いコミュニケーションになる。話の種にしたいだけで、そこまでは誰も望んでいないとなると、ひととおり目を通して、自分が読んだという証拠だけつかんで満足してしまいがちになる。

 近代の文学者たちは、素読からの伝統もあり、活版印刷するコストの問題もあり、ワープロもインターネットもないから、声に出して読む、同人で寄り集まって互いの作品を音読する、全体を書き写し取るなど、より時間のかかる方法をとり、十分に彼らが書いているものについて思索をした。それが仕事に必要だったからとはいえ、読むことに関する桁違いな執念のエピソードは枚挙にいとまがない。夏目漱石はイギリス滞在時に間ハエの頭ほどの字で英書のノート数十冊を埋めたとか、菊池寛大西巨人に1000冊を3周読めと言ったとか、三島由紀夫は学生の時に辞書を3周読んだ、などなど。近現代で、どれほど一般の読書の習慣が失われたかについたは、データを別途参照しないといけないが、現代日本人が、ネットやテレビを見ているすべての時間を投じるような読書の習慣を生活に取り込むことは難しくなっている。よほど生活を犠牲にする環境・きっかけがなければあり得ない。

 しかし、現代人に本を深く読み込む時間がないにしても、本を読んでコミュニケ―ションをとる人々でみた総和の読書時間は、かつてよりも大きくできるだろう。そういった環境の変化で本を読んだ感想も間違いなく多様に交わされるべきであり、いかなる本も、他者の評価はさておき私はこれについてこう感じた、という読みがもっと評価されるべきだと私は思う。少し感情が揺れただけであっても、あとでその一節を読み返すと、作品全体との響きであったり、隠されていたメッセージであったり、他人には意外と見えていない一面を示すことができる。そういった読書が作品に結びついて積み重なれば、一度読んだ人にも発見があり、まだ読んでいない人にはじゃあ読んでみようというきっかけになり得る。

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 その結果現れたのが、ブクログであり、読書メーターなのだろうが、飛躍すれば、それらの機能で、作品の何ページ目へ直接リンクを飛ばして紹介できるような仕組みがあるとより面白いかもしれない。情報源へのリンクのよくまとまっているブログは面白いし、引用はもっと書き手にも読み手にも簡便な方法があっていいと思う。

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 Amazonは、新刊を探すときの類書おすすめのアルゴリズムが買う本のリストを作るのに有用だが、レビュー欄も、当たりはずれを見極めるのには使えたり、たまにその分野に詳しいと自信ある人の解説を見ることができる。通常は、消費者として一般的な感想を志向しているか、わかっているっぽいと評価されて「いいね」がついたレビューが、上位に表示されるだろう(badがたくさんついても、賛否の否の方で上位に出すケースもあるらしい)。当然ながら、私はこう思った、という多様な考えが一様に評価されることを志向していないが、Amazonは買い手に参考になればいいから、それでよさそうだ。

 ブクログ読書メーターのユーザーは、もっと大胆に自分なりの感想を深めて、運営もそれをこそ評価するアルゴリズムで表示し、宣伝もしてゆくとよいのではないかと思う(Googleはユニークな情報で長文だったら上位に表示する仕組みがあるらしく、そういったアルゴリズムは搭載済みかもしれない)。

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 自分なりの読みをして、それが全体で多様性をつくり出す仕組みがあれば、本を読むことを通じて社会に多様なフィードバックが得られるのではないだろうか、ということを上に述べた。

 だが同時に、趣味の読書だったらどうでもいいことはどこまでも手を抜くべきだ。要約だけ知る、解釈の別れる論点を抜き出して考える、自分なりにふと思ったことから深めて考えるなど、どれくらいの距離間で読むかをあらかじめ決めるという観点は、仕事ならもちろん趣味でも役に立ちそうだ。

 本の背表紙にあるあらすじや解説だけを読む読書があっていいし、出版図書目録を端から端まで見るのも面白い。オビのアオリもじっくり見ると考えがいがある。そうした手を抜いた読書から、しっかり読みたいと思える一冊が自然と現れることがある。その一冊に至る過程も、読んで何かを得ようというつもりでいるなら、きっとポジティブな要素になるだろう。同様に、アブストラクトを読んで読まない論文を決めることがあるように、はじめに、あとがき、解説を読んで読むのを止めるのも読書の醍醐味だろう。

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 本を読むことに拘泥したが、読む行為はあらゆる趣味にも関係している。なんでも感じ取ることのできる一部の天才を除けば、経験則のルールであっても、目にしたものの裏にある原理を読み取る行為が前提にあるわけで、解釈の深さや多様さは意識した方が、何事も楽しみを増やすことにつながりうる。

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 ここまで書いて気になってふと、目録を探してみたところ、無料で提供されているものが意外とある。すべてではなくて、出版社によって提供の仕方はまちまちであるようだ。これらの目録は大型書店で無料で頒布されていたり、有料の目録も販売されている。図書館にも置いてある。新潮文庫、角川文庫は無料版目録はないが、夏の100冊は無料配布冊子は毎年楽しみだ。

  目録で本を探すとなると、出版社で区切ったり文庫や新書などに限定する幅の狭さがあるが、その範囲でどういった本があるかをひととおり見るのも、図書館や大型書店の一つの棚を見るのとちょっとずつ違う楽しみがあって良いと思う。

 以下は無料でpdf形式で入手できるか、Kindle上で利用できる、新書・文庫の目録のごく一部の例。

www.iwanami.co.jp

www.chuko.co.jp

www.chuko.co.jp

講談社現代新書 解説目録 2019年3月現在

講談社現代新書 解説目録 2019年3月現在

 
#光文社新書この一冊?1000点突破記念?

#光文社新書この一冊?1000点突破記念?

 
光文社新書 100冊セレクション

光文社新書 100冊セレクション

 
角川ソフィア文庫目録2019

角川ソフィア文庫目録2019

 
新潮新書 解説目録(2019年4月)

新潮新書 解説目録(2019年4月)

 

  以下、少し古いが、最新の数年分はHPで遡れることを考えれば、十分にありがたい。

www.hayakawabooks.com

著作権について備忘録

著作権保護期間は2019年から著者の死後70年に伸びている。伸びたのはTPP11による。

一度著作権が切れたものがまた保護対象入りするわけではない。

www.bunka.go.jp

保護期間は死後50年の国も多い。海外の戦勝国はプラスの日数加算があるというのを、青空文庫のHP階層下のどこかで見たが、忘れてしまった……。

www.cric.or.jp

一時期青空文庫に出ていたpublic domain lockedという広告は不正確と思ったが、翻刻の成果が20年凍結になる例があるのは、無念だと思う。

www.aozora.gr.jp

正宗白鳥はまた保護対象にならずに済んだが、志賀直哉著作権切れまで22年くらいになってしまった。延長になった名前に武田泰淳武者小路実篤、里見弴の名前が見える。吉川幸次郎小林秀雄古今亭志ん生(5代)、三遊亭圓生(6代)も。

www.aozora.gr.jp

 

最近出た文庫からでも著作権が切れているものは翻刻の例がある。翻刻著作権はなくて、校訂や編集が入ると編者に権利が発生する。近刊だと藤澤清造の本がそれに当たるだろう。

『狼の吐息/愛憎一念 藤澤清造 負の小説集』(藤澤 清造,西村 賢太):講談社文芸文庫|講談社BOOK倶楽部
引用であれば、写真を撮って図画として入れてもいいが、引用部分だけで構成してはいけない(『著作権の世紀』)。

国木田独歩の読書メモ

 ドナルドキーンは独歩については日記が一番の作品だと言った。独歩の今のところの感想は、感傷に訴えるものがあるが、短編はスケッチ的で、長編の深い構想や生き生きとした人物が現れてくるか、今のところ想像がつかない。たとえば『武蔵野』は多角的に語っているし海外文学の引用を長めにしているバランス感覚は読者にない美観の導入のため必要と思えて納得がいくが節ごとのまとまりは強くない。『忘れえぬ人々』に至っては作中人物がスケッチだと断ってすらいる。

 しかし感情に訴えるものがある芸術的傾向には、ワーズワースへの深い傾倒が裏にあるという解説を見た。海外の作品に感化されて、日本の風景の中に美観を再構築して、独自の芸術作品を作り上げる試行錯誤があるはずだが、その跡を作品の表面からは(構成の緻密さのようには)明らかに見とることは私には難しい(私には俳句の微妙な表現の違いに美的効果の変化を見いだすことも難しい)。そういう意味で、独歩の日記を読むことに価値を見出せる。

 ともあれ、スケッチ的であるのは作品を重厚なものにはしないが良さでもあって、ここに読んだ独歩の作品は、背筋を伸ばして長時間机に向かって読まずに、酒を飲みながらでも楽しむことのできる作風であると思う。

www.aozora.gr.jp

舟から見る無人島とも思える小島で浜辺を歩き何かを拾う名もなき人、漁師町に雑踏で誰の視線も集めず歌う琵琶法師、人気なく暗くなる山から麓へ降りたところすれ違った空車を押し謡を口ずさむ屈強な若者。わけもなく見る風景の美しさにとらわれて、忘れることができなくなる優れた詩的感性の豊かさに心を動かされた。

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孤児で快活な青年と馴染みの少女は海を渡って半島へ行く。孤児として支え合ったが生き別れて行方も知れない弟の面影を重ねて泣く少女。疑いもなく連れてゆかれて、その少女の孤独を知っても、遭遇したその日に永遠に別れる少年には直視できない。記憶が遠のくにつれて少年の頃の思い出は悲哀の詩となって存在感を増していく。

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楢林独特の風景は今に至るまで語られることのないものであると著者はいう。どこまで行っても分岐路があり迷うままに行く楽しみのある地形をしている。小金井の堤をともに散歩した朋友の手紙を引用するに、「自分で限界を定めた一種の武蔵野」に、川越、所沢、田無は入って八王子は入らないような、平野の一領域の風景にえも言われぬ共通要素の境界があるらしい。鉄道と地勢から彼らの武蔵野は南北に狭いらしいが、その面影は今なお地形に見る、点在する雑木林に見ることだろう。

www.aozora.gr.jp

桂正作は階級の流動する時代に凡人としての人生に眺望を見て確かに実行し、かつ情を遂に捨てなかった男である。山を外して没落した家に生まれたが、旧弊を嫌い銀行勤めをやめてまで、働きながら夜学に通い、いつか自助論に感化されて発明をするのだと語っていた夢の通りに、あとあとになって電気部の技手として弟たちを養っている。彼の将来を祝福して杯をあげてほしいと語り手は言う。

週末に大型書店で探す本(2019/8/29)

⇒新書新刊で気になるところ

  • 『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』
  • 『長く暗い魂のティータイム ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』

ダグラス・アダムスの「新刊」が出ていたとは。兄が市立図書館で旧訳を手に取らず、家族で隣町の本屋に行かなかったら買わなかった安原訳版『銀河ヒッチハイクガイド』も10年以上前。自分がまともに読んだSF小説星新一とこの作品だけだが、この新刊が分類される推理小説米澤穂信以外にまともに読んだことがない。しかしきっと楽しんで読めるのだと思う。

  • 『ファクトフルネス』
  • 『インプット大全』/『アウトプット大全』
  • 『勉強大全 ひとりひとりにフィットする1からの勉強法』
  • 『アイデア大全』/『問題解決大全』

⇒これ系は平積みされている冊数さえ多いが、経験則にならざるを得ない方法論は参考先が多いに越したことは多分ない

  • 『入門 統計的因果推論』
  • 計量経済学のための数学』
  • 政策評価のための因果関係の見つけ方 ランダム化比較試験入門』
  • MMT現代貨幣理論入門』

⇒大学卒業直前に自分がジャンルの棚を眺めている分野で専門書の出版ラッシュがあって買いそろえていたが、また出始めてしまった。しかもそのうちにアセモグル・リスト・レイブソンのミクロが出る。眺めるだけになってでも、買うかもしれない。

  • 『教養派知識人の運命』

中公新書教養主義の没落』を借り、手元にある『教養主義リハビリテーション』とあわせて読み返しつつ読みたい。

  • 『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』

⇒『失敗の本質』『失敗学』あたりを読み返しつつ読めないかとなんとなく思っている。

⇒早川twitterの紹介が気になる。一番下のは映画もいいが深みがあると紹介されており、最近再刊した本。

『「砂漠の狐」ロンメル』感想

 

  AmazonPrimeでは『砂漠の鬼将軍』を観ることができて、熱い戦車戦が見れると思っていたから大変がっかりしたが、気に入られていながらも晩年にヒトラーを裏切って加担した暗殺計画が失敗し、家族を盾に名誉のうちに自死を迫られたロンメルの晩年がドキュメンタリーに描かれていた。 

 1950年代前半、終戦後直ぐにこうした映像を作れたというのは、敗戦国要人の供述を横流しするプロバガンダ的な支援があったにせよ、すごい国だな、と第一に感じた。しかもどちらかというとロンメルチャーチルが敵ながらあっぱれと誉めた軍人で、終始同情的に描かれている。国民感情を考えると、戦争に関して国に不利益な情報は一概に秘密にしてしまおうと考えるものだと思ったが、どういうロジックがあったんだろう。

 内容に関しては、わくわくして観るものじゃなかったが、緊迫感があって興味深かった。軍人の息子が無邪気に死にに行く父を敵をやっつけてきてくれと見送るシーンにぐっとくるものがある。また、「格言を並べたような戦略では戦争に勝てない」など総統の愚痴を言っているシーンは、組織のトップがイカレていたら? というときに与える評価として今でも通用しそうな言葉に感じて面白い。

 一方の『「砂漠の狐ロンメル』は、軍人生活のスタートが傍流から始まって、毒をあおるまでのロンメルの来歴が、最新の学説に基づいて記されている。

 軍閥として傍流のヴュルテンベルク軍に学び、砲兵・工兵のコースに行けなかったことが災いして本来昇進の望めない軍歴だったが、第一次大戦フランス軍ルーマニア軍へ仕掛けた緒戦で評価され、かつロンメル自身が喧伝し、保守的なプロイセン軍人を嫌ったヒトラーに認めらた。第二次大戦の当初は第七装甲師団をなかば独断専行に縦横無尽に指揮し、敵味方に幽霊師団と称されるほどの指揮活躍をした。

 しかし、戦略の水準ではとびぬけた才能を持ったロンメルが、幼年学校など、作戦次元の英才教育を受けてこなかったことが災いして、その後のアフリカ戦線での指揮官の命や兵站を軽視するなどして、アメリカの参戦までにイギリス軍とのギリギリの戦いを最後には取り逃す伏線になった。

 本書に紹介されるロンメルの戦歴は素材としてそもそも面白く、しかし概要ですらあまりしっかり認識できたとは読み終えて思えなかったが、日本語の書籍で通説を刷新する、最新の学説はこうである、という紹介を一般書で読むことができて、とても楽しめた。

 すなわち、のちに別の信頼できる資料が見つかって学説が進み、現状の認識では、補給を軽視し、正しい記録を回顧録に残さなかったこと、総統暗殺のクーデターを知っており、加担していたことを明らかにしているところは、過去に人気を博し通説となっていた書籍・論文に対して歪曲されていたところを指摘する注意深い取り組みの成果であり、客観的な事実を追い求める尊い営みだと感じた(メディアや政治の力によって通説を歪曲する歴史修正主義に立たず、かくあってほしい、かくありたいと思った)。

「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨 (角川新書)

「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨 (角川新書)