悴(かじか)む兵隊

 私は時代錯誤の規律、明文化されない運用、不規則な当直、村社会の政治をやってきて想像力を失った者たちのもと、何を心では拒絶するか、受け入れるか、諦めるか、執拗に追い求めるか、他者を基準にできずに考え続けている。私は、狭い社会の論理に単純に反発して敵対的姿勢を自ら正当化する行為を、彼らと同じ基盤で政治姿勢をもつことと考える。彼らの敵対的位置に立つことは、不満に感じる彼らの側面を模倣することであり、ありのままに彼らを肯定するのと同様、受け入れがたい。彼らのように政治、あるいは他者を基準においた相互の評価を楽しめない以上、その政治のためだけにわざわざこの人生の墓場へいる意味はなく感じる。私がこの場所にいる意味を見出すのは私であって、能天気が長所の中央部局が決めることではない。

 それゆえ私は来るべき状況を言葉にして、とりうるより良い選択を示したい、可視なものだけから政治をやるよりはマシなんじゃないかと考える。完全情報ゲームはAIにでもやらせておけばいい。そうして私は自分に及第点を与えようという苦しい・多くの場合虚しい努力をしている。上流から意義が自動的に流れてくる上役たちからすれば、なぜそんな些事にうつつを抜かしていると思うだろう。しかし上役たちは経験から得た知恵・知識を常識と考えてアクセシビリティを塞き止めがちであると私は思う。私には不可視なものを、どうもこうも言わないでほしい。それに私には時間がない。彼らにはかつて緩やかな時間が流れていて、私には来るべき破滅の地響きが遠くに聞こえている気がする。

 この苦行の日々を過ごしながらも、彼らが柔軟な知性を持っていたころに吸収してきたものも、わがものにしてゆく追加的な努力をせねばならない。これは、生死を分ける戦局ごとの身のこなしやこの弾は防弾服を貫くといった最低限の知恵・知識を言うのではない。後方で特殊な器械類が扱えたり、渉外するための語学力や文書作成能力、規則運用能力をもつことを言う。能力に業務負荷や教官の能力、士気などが交絡因子となって身につく早さにばらつきが生まれるが、これのない者は、内政の競争に敗れたものである。(それでも最低限の知恵・知識がなくて犬死にするよりはマシだが。)

 私は社会へ放たれて仕方なく、得意を伸ばす機会を失う代わりに、苦手の糊塗に精神をすり減らしている。必死に今日の役務をこなす日々に、明日のための認知・記憶の力が衰えることに怯えている。私は今こうして悴んでいる場合じゃない。不安に負けて背嚢には無駄な荷が詰まっている。明日も景気良く生きるためには、明日必要なものを詰めておく必要があるのに。もっと何かを捨てられるはずだ。それをできない今の私は、目についたもの・非難しがいのあるものに飛びつく彼らを馬鹿にできない。