『戦争と平和』第3部冒頭まで・ピエールとアンドレイ

 ピエールは序盤から主人公格だと感じさせる。冒頭のアンナ・パーヴロヴナ・シェーレルの夜会ではナポレオン・ボナパルトの肩を持ちアンガン公暗殺も仕方ないと言って、(舞台は1805年のロシア、いま調べるとアウステルリッツの戦いという仏軍が露軍を破った戦いの前、開戦直前期から話は始まっているが、)ピエールは談じていた貴族たちに(ナポレオンの人道的に称揚しがたい点をそれぞれに指摘することで)その政治姿勢を非難される。彼がはにかんであなたがたを不愉快にさせなかったわけじゃない、というような顔をする、仲の良いアンドレイ若公爵にフォローされる、その間著者はピエールに対して貴族社会の空気の読めない欠点を挙げながら、人の好さ、きょろきょろとペテルブルグの上流たちの様子に興味をもっている様子などが好感をもって描写されていて、この時点ではただの金持ち貴族の庶子でしかなく、地位も低く、外国留学から帰ったばかりなのに、そうした描写に紙幅を割いているのはなぜ? ということが引っかかったまま、読ませていく。引っかかった所の理由・彼の背景があとから描写されてゆくところに、彼が物語の中心にいること、伏線があとへ引き継がれてゆくこと、彼の冒頭の人格描写が当初の彼の確かな人格で、それを背景にした行動原理が行動だけ描写された中に見出され、きっとすこしずつ行動原理が修正されてゆくことが描かれてゆくに違いないと思わされる。

 ピエールとアンドレイに対して、他の夜会の客たちは内面より外面の描写に紙幅が割かれ、彼らの振る舞いは役割は微妙に違えど、同じモードに則って洗練されている、しかし欠点もある、といった淡々とした描写の印象を持つ。(とはいえ、夜会でのエレンは服や装飾品だけでなく、自分の美しさを弱めようとしてもそれができないというくらいの美しさを輝かせていることについてしっかり描かれている。退屈そうに話を聞いている様子とともに。こういう一辺倒ではないところの描写に、貴族社会に対して影響を及ぼすエレンの抜きんでた存在感が強調されている。)

 現代人から見て、やがてロシアでも打ち滅ぼされる存在である貴族、彼らが古臭い通念で内輪の生活にひたすら時間を使って、自分たちの地位のために都合のいい噂話に溜飲を下げていて、アンドレイもその生活がばかばかしく、友人のピエールにも貴族社会には入るな、自分はこの生活がうんざりだから出征するだとか打ち明け話やアドバイスをする。

 ピエールはアンドレイを認めている。6節でアンドレイは自分を無能で、女性に失望していて、生活が損なわれているというが、ピエールから見ると誰に対しても落ち着き払った態度、稀な記憶力、広い知識、働いたり学んだりする力があり、ピエールにある空想的な思索を弄する傾向がアンドレイには欠けているが、欠点ではなく力だと見える。逆にアンドレイは貴族社会の人たちに退屈している反面、ピエールの理想や思想に対して無邪気で正直で、がんじがらめの社会のルールから外れているところを美点だと認めているように見える。

 1章の終わりでアンドレイは妻に対してありえないくらい冷たい態度を取っているように見える、よほどのことを妻に対して思っている、あるいはどうでもよくなってしまっている、そういう欠点があっても、アンドレイは端正過ぎるくらいの貴公子として初登場時に描かれていて、気難し気なところがあって、陸軍大将をかつて務めた厳格な父公爵から遠方の田舎で教育を受けて、少年時代には貴族のコミュニティから離れた所にいて、その反動で妻に失望しているところがあって、そうありながらも父公爵の几帳面過ぎるところを笑えるくらいには父を愛しており、等々、彼の人格を形づくるさまざまな要素が彼の登場して顔の筋肉を動かすたびに浮かび上がってくる。アンドレイもまた、陰影の深い主人公格である。

 

 ピエールは1部の時点で、さまざまな将来の可能性を用意された青年である。アンドレイのような厳格な環境で問題なく育ったエリートから見て、伯父が金持ちの公爵で本人がその気に入った庶子であるがために十分な教育を受けることができ・将来の選択肢も外に開かれているのだからしっかりやるんだと、言われるべき立場にある。それでいて自身に選択権のある青年だからか、悪友たちとつるむことをやめられず、アンドレイに彼らとの夜遊びをやめるといった当夜に、金も縁故もないが酒と賭博にめっぽう強いドーロホフの荒くれっぷりに憧れて真似して、とうとう泥酔して仲間たちと警官を同宿の貴族が飼っている熊と背中合わせに縛って川に投げ込むばかばかしい悪事をはたらく。

 ベズウーホフ伯爵が実は庶子の善良なピエールに大半の遺産を残すよう、皇帝陛下に例外をお願いしていたことが貴族コミュニティの中で徐々に噂になってゆき、当人が事態を明確に把握できぬまま、ナターシャの名の祝いの日で飲酒した足で伯爵を看取り、突然ピエールの親類で世話をしていたワシーリイ公爵以外の者たちもピエールを好人物だと褒めるようになる、遺産で係争していたベズウーホフ伯爵の姪たちの態度もガラッと変わる。人間関係で、劇的に相互の関係が変わったときの微妙に態度を決めかねている感じが、そうした経験のない私には今まで見たことのない不思議な光景として見ることができる。

 

 これはきっとこの小説の全編について言えることだと思うが、心理描写のしっかりなされる・著者も読者も感情移入をすることになる・主人公格の人物だけにユニークな人格が与えられるのではなくて、途中で数えるのをあきらめざるを得ない登場人物の端々まで、人格的外観的美点欠点、行動的思想的傾向、それらが彼の属する社会に対して及ぼす影響や役割が与えられていて、社会の構成員が互いに感じる好悪は全く一様でなく、たとえばときに聖人めいた顔をすることのあるアンドレイの妹が委縮した時醜い顔をするだとか、アル中の猟銃中隊長が揺るぎなく猛烈な勇猛を発揮するだとか、とにかく多様だと感じる。多様ながら確固な信念や立ち振る舞いをそれぞれに持っていて、かつ確信を持って彼らの衣装や通念や習慣が描かれているために、私がロシアを知らずとも、物語の人物は確かに19世紀初頭のロシアに生きていると謎に確信させる説得力がある。

 

 最初の2部をじっくり読み進めていたが3部に入った途端、1週間くらい間が空いた。GW中は読み進めることができてと言うのが一番だが、もうひとつ、ピエールについての話に気が散ってしまって読み進めるのが難しいことを感じてしまっている、どんどん読み進めることができないでいる。読み進めたいのにそうなっているのがばかばかしいことだと思うが、ピエールがワシーリイ公爵の美しい娘エレンと結婚することを避けたいものだと考えながら、年の近い裕福な公爵と美しい公爵令嬢と言う立場からそれを避けがたいものだとも感じ取り、ついには避けようのないものだと確信するあたりで、彼の気恥ずかしさや慢心へ私は共感性羞恥を感じていて、アンドレイがリーザに失望したようにエレンに失望する日がきたり(トルストイの個人史では、幸福な結婚生活があったからこそ本作品やアンナ・カレーニナが書けたとあるし、ピエールが異性に夢中になってゆくさまを幸せなものとして描いていることに疑いはないが、アンドレイの妹は手紙の中で突然富豪になったピエールに来たるべきさまざまな苦難に同情していて、不穏に感じる。)、アンドレイが敗戦の将となったり、主人公格たちにこの先恐ろしい人生の困難が待ち受けていることを感じているからだろう。この先も下手に寝転がって読むことはできなさそうだ。