『独ソ戦』感想・メモ

 

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

 

 感想

 ドイツの陸軍参謀もまた積極的に絶滅戦争に加担したこと、スターリンの人間不信による度重なる敵作戦について重要な情報の見落とし、互いに惨い捕虜待遇、互いに戦線維持へ固執ソ連の戦術の実用に対するドイツのマイクロマネジメント(p.141)的非合理な作戦の違い、等々、表面で知っている「WW2で独ソは互いにWW1とは比にならない膨大な死者を出した」内訳の一端を知れた。

 書中死ぬまで戦線を守り相手国の捕虜や占領地住人に酷薄な独ソ兵の勇猛と残忍は強く理性と情緒に作用する国民性、恐怖政治、政治思想が一体となって体現したものに見える。いざ戦争になって母国を守るのに勇猛さが称揚されることはあっても、かくも悲惨な戦争は回避されなければならない。なにゆえ悲惨な戦争に向かったか、どのように悲惨だったかを知り、平和的な政治問題への対処法を知り、最悪の事態に守るべき国際法を知り、いくつもの理性の防波堤を築くことは、平和を望む者に必要と思われる。

 一方で戦争がどのように悲惨であったか、情緒に訴えるのみで、理性に訴えないのも問題である。悲惨な戦争の様相だけを理由に反戦するだけでは、戦争に至る道筋を辿らないための方策を考えることがないように思われる。戦争は感情でただ忌避するのではなくて、やはりその火種、政治的衝突に向き合う理性がないといけないと思われる。

メモ

 スターリンの粛清でソ連軍は弱体化していると陸軍参謀たちは考えた。総統と参謀で意見が分かれ、目標不明確で敵情を考えない杜撰な「バルバロッサ作戦」を実行する。 ‘41の6月22日に東部戦線330万の兵がソ連へ進行する。

 スターリンソ連侵攻の情報を見落とし、結果奇襲となって甚大な被害を出す。当時のドクトリン:先進的な戦略体系:縦深戦(p.39):を使いこなせる将校は大粛清を背景に少なく、習い性で攻勢に出ることでかえって被害を増やした。例として、センノの戦い。

 フランスと違いソ連兵はタフで、狡知・奸計を駆使した。7月スモレンスク会戦までの消耗は激しく、兵站機構もうまく機能せず、包囲陣から逃れた部隊に新たな防衛線を築かせた。すでに戦車の半分以上を十全に戦闘できない状態にしてしまう。

 ヒトラーは一貫した思考と行為を持ち千年帝国を建設しようとした「プログラム」学説を英国歴史家のヒュー・トレヴァ=ローパーが立てた。実際、ヒトラーは戦争準備と国民の生活水準の維持の二兎を追う政策をうった。1次大戦のごとく国民に負担をかけて革命の機運を高めないようにした。戦争準備で兵器工場動員をして、郵便や農業など内政に危機を生じた。資源や外貨を求めて占領国から収奪する方針へ傾いていった。ソ連の占領地からも食料を奪う「飢餓計画」を、食糧農業省次官バッケが打ち立てた。

 ドイツの絶滅政策の例として、公安系の特殊機動隊「出動部隊」により、占領支配の障害となろう人々を殺戮した。ドイツの「コミッサール指令」はソ連共産党が派遣した政治将校である政治委員のうち抵抗する/した者やユダヤ系捕虜は「出動部隊」に引き渡すというもの。捕まれば死ぬので却って徹底抗戦を促した。

 文字通り死ぬまで働かせるなど国際法に背く捕虜待遇をしたドイツだが、ソ連のドイツ軍捕虜も5%しか生存しないなど、こちらも悲惨だった。

 冬にソ連は総花的に反攻した。’41 12/16にヒトラーは「死守せよ」と命令を出した。ドイツ軍が壊滅しなかったのは前者が原因だが、この見た目の成功でヒトラーは自身の作戦立案能力をより過信するようになり、南方を攻めてのちにコーカサス油田を狙う「青号」作戦から転じてスターリングラードも攻めた。スターリンは「一歩も引くな」と命令を出し、廃墟の中の白兵戦でドイツ軍は投入されたエリート兵たちの本領を発揮できない。ヒトラーは包囲された第6軍に死守せよといい、壊滅する。ソ連の用兵思想「作戦術」が機能し始める。連合国に任せていた南方は攻め込まれる。

 1943年8月ごろには、互いに報復を正義とみなす絶対戦争の様相をなした。ドイツは収奪を徹底するようになった。