感想『正宗白鳥――その底にあるもの』

 

正宗白鳥――その底にあるもの―― (講談社文芸文庫)

正宗白鳥――その底にあるもの―― (講談社文芸文庫)

 

 著者の山本健吉は、日本の1000年以上にわたる詩の伝統を見直す『古典と現代文学』の代表作を始め、『柿本人麻呂』『最新俳句歳時記』『芭蕉』などの作品で独自の確固とした地歩を築いた文芸批評家である。(解説参考)

 また、本作品は、棄教したはずの白鳥が死の直前に教会を訪れ、キリスト式の葬式を挙げたことについて、終始クリスチャンだったという観点で、白鳥が論じた内村鑑三トルストイの作品批評などを読み、その深層で変わらずあるものを読み解こうとする取り組みである。

 同じ問いや引用を繰返し、議論が深まっていくわけでもないが、それは白鳥がほとんど唯一真の文学として影響を受けた作品群、あるいは肉親の死を経て作品や人振る舞い上の振る舞いに見られる心のにぶい移りように、著者自体がにぶい光を当てたかったということらしい。

日本のような微温的な風土で、信仰を捉えるとすれば、そのようなにぶい光を問題にしなければならないのではなかろうか。(著者あとがきより)

 正宗白鳥は、死んで数年のうちに文学全集から名前が削られるようになり、読まれなくなった作家ではあるが、その数年のうちに評伝が何冊か出て、同年代の人に、熱狂的な読者を持っていた作家でもあった。そしてその評伝の著者である大岩鉱、後藤亮、兵頭正之助らが中心的に問題としたのが、白鳥の信仰の問題だった。白鳥は、信仰者の欺瞞を唾棄し、不躾なほどに冷徹な論評で、明治末期の作家活動の背景もあり、戦後も読売新聞での書評など、死ぬまで大家として存在感を残し続けていた。そんな若い頃に近代的知性に反する思想として教会を離れ、キリスト教も退けていたと思われた白鳥が、どうして死の年にキリスト教式で葬式を挙げてもらう思いにいたったか。

 白鳥は、幼いころに祖母にされた地獄の話が深層心理にあり、生まれ持った苦しみや罪の意識、死ぬことへの恐怖など、人生上の深い問題に対して光を与えてくれる存在として、信仰や文学を探し求めていた。若いころ、内村鑑三の演説に感動し、洗礼を受け、内村が出していた雑誌が廃刊になるまで『いかに生くべきか』を求めて演説に足を運び続けた。しかし、キリスト教の神はあまりに人間に惨い仕打ちをし、教会の宗教人たちの独善には失望して、棄教を宣言し、教会から離れてしまう。

 その後白鳥は戯作から国内外の文学作品を読み漁ったが、ほぼすべてが純粋な興味好奇心から第二義的に読んでいるに過ぎなかった。同時代の作家の作品、たとえば尾崎紅葉の作品は落語を聞くように耽読したが、なんら影響は受けなかったという。白鳥が人生の問題を本当に扱っている真の小説として影響を受けたのは、内村鑑三の『基督教徒の慰め』『休安録』『流竄録』であり、じきにレルモントフ『現代の英雄(浴泉記)』チェーホフ『棺桶屋』ツルゲーネフ『ルージン』であり、トルストイ、ドフトエフスキーの作品群であった。たとえば白鳥が感化を受け繰り返し言及したレルモントフの当初『浴泉記』として出た一節には、ドクトルが「わたしは早晩ある美しい朝に死ぬだろう」という確信を述べ、ペチョーリンはそれに加えてもう一つ私には信念がある「ある不愉快極まる晩に、自分が生れ出る不幸を持った」ということだ、と述べるシーンがある。当然、白鳥は、生きる苦しさを感じながらニヒルにふるまっている。本書では全く語られていないが、白鳥は酒などによって逃れることもできなかったようである。

 トルストイ『イワン・チリッチの死』について、白鳥は昭和26, 32, 37年に繰り返し言及している。イワンは、不治の病に肉体も精神も苦しんで死ぬが、死の際に痛みが意識から離れ、死の恐怖からも逃れ、「死の代わりに光があった」と「気づいて」、喜びのうちに死ぬ。このシーンを評して、気休めの付け焼刃(の信心)だ、こじつけだと断じるのに同調しつつも、トルストイにも「真に徹して死を見極める事は出来ない」ように、批評家づれにも人間の魂の問題は見極められない、死後の世界は心の遊びだが、生きた人間の心の動きを見ていると、そこへ前生や死後が映っているように空想される(昭26『読書雑感』)というところから、あるがままに人生を直視するのが近代人の目指すべきところで、原始キリスト教というふるくさい観念にとらわれ空虚な影を追うトルストイは愚かだが、死の際の心の憩いの陰はそうした観念にあるといい(昭32『現代つれづれ草』)、死の年にはかつて洗礼を授けた故植村正久牧師の娘植村環牧師たちの讃美歌に、白鳥の心にはっきりとはしないが救いの光(白鳥の言う「不可解の微光」)を感じるところまで変化していく(昭37『感想断片』)。

 白鳥の父は胃を悪くしてほとんど餓死のように死んで、筆記もできないので空にシニタイと描きながら死んだのに、死に顔は穏やかだった。その父は熱心な仏教徒でもないのに、仏教のお経を唱えてもらっていた。白鳥の母は肉体・精神的に苦しまずに死んだはずなのに、父のような穏やかな表情はなかった。長男白鳥の次弟敦夫は死の直前にキリスト教に入信した。四弟の律四は明らかに才能のない画家で、不潔で孤独で、晩年の数十年を生家の一室に過ごしたが、死ぬ時くらいはと仏式の人並みの葬儀が行われた……それらの経験も、棄教したといいつつ新旧聖書を座右に置いた白鳥には印象的で、それぞれ小説にもしているほどで、死の年5月、室生犀星無宗教葬の3日後にはついに植村牧師の元へ足を運ぶに至る。それらの身近な老死はすべて、自らの死を思わせ、死の代わりに表れる光を求めて明示的にキリスト教に立ち戻るに至る、階梯であったと言える。

 著者山本健吉は畢竟、白鳥はキリストへの信仰を捨てなかったし、キリスト「教」を捨てた、というのも、棄教者を装っていたのではなく、本当は魂の奥底で救いの微かな光を求めていたのである、ということを結論している。白鳥が真の文学と感じた作品を繰り返し論じたように、また小林秀雄が白鳥を論ずるに白鳥の作家論を順に挙げるうちに没したように、著者が正宗白鳥の魂の奥底の信教心について揺り返すように語ることは、なんとなく真っ当だと感じた。

 

 読み終えて白鳥の来歴を再度確認していたら、ニッポニカで兵藤正之助がまとめた正宗白鳥の概要が非常にわかりやすかった。山本健吉自身が個人的に白鳥を凄いと考える様子についてはわかりやすいが、わかりやすく何で世に認められていたかを示さなかったのは本書だけを手に取った者にとっては少し不親切かもしれないと思った。先に出た3書の評伝が前提になっているようで、その割に本書が文庫として改めて出たことは、少し不思議に感じた。語られる作家の評価より、その作家を通じて、苛烈な神より穏やかに包み救ってくれるような信仰を好みあるいは救いの感覚を微弱にのみ持っている日本人の信仰のあり方へ(微かな)光を照らす作品であることが、世代を超えて読まれるという思いがあったんじゃないかと想像した。