(修正済)『天気の子』感想メモ

  • 最初の帆高のナレーションと病室からビルへ上がって宙に浮く陽菜の描写では、「俺たち」があのときから世界の形を決定的に変えてしまったという。陽菜が晴れ女になることが世界の形を変える原因になる、という説明にしては、「俺たち」というのに観始めたとき、違和感を感じて、何かあるんだろうと思った。あとで繰り返されるこのセリフで、陽菜たちの決断が代償をともなう新局面にきて導入部のセリフがわかるようになって、なるほどと思った。
  • 帆高の序盤の描写は、船上で既に顔を殴られて治療された跡がおり、家庭か学校での暴力が原因で家出をしている。たぶん前者で、2か月くらい家出をしていて家族を全く恋しく思わないのは、よほどだ。村上訳ペーパーバック版のキャッチャーインザライを抱えており、少なくとも本の主人公には共感しているだろう。陽菜が絡むと警察にも絶叫して振り切っているシーンが続いたので、ホールデンのように反動的で大人にたてつく言動をする子どもであるかとも思ったが、晴れ女のビジネスを始めてからの客に対する親切を見るに、そういうことじゃないんだろう。
  • 陽菜が須賀の娘と遊んで笑っているのを見て帆高が笑うのは、ホールデンが妹の回転木馬に乗るのを見るのと似た気持ちだったろう。帆高は作中はじめての人生経験にこだわっていたが、このときにもそうした人生で初めての感情を覚えたと思われる。
  • 銃はこれから「事件」が起こるだろうという気持ちにさせる。「お守り代わりに」とヒロインを「守る」までの間しばらく持っているのは、何となくの成り行きはあるだろうけど、思い切ったことをするなー、と思った。ただ考え直すに、帆高の東京は恐い所だ、という想像の外に、この銃があったんだとも思った。日本だったらふつうはモデルガンだと思う。銃を捨てた人は、捨てる際、安全装置を外したまま、弾も入ったままで、物騒だと思ったが、しばらく時間がたってまた引き金を引いたら銃弾が出て来たってことは、オートローダー? がついている、警察でも使っていない自動拳銃なんじゃないかと思うし、捨てることができるのはそもそも警察が追っているような物騒な人たちだった。このようなことは、拾った瞬間にすぐに考えられるようなことじゃないなと思う。作り物でも本物でも、持っているのがバレればそれこそ騒ぎになって、少なくとも離島に帰らなくてはならなくなる。(帆高が福岡出身だったら、万一には仕方なくも警察に届けたかもしれないが!)
  • スカウトマン木村と須賀に銃を向けたそれぞれのシーンは、いずれも2度とも銃声の余韻を残して、空へ撃っていたことがあとからわかる描写になっている。刑事ものや海外の映画なら、適当に撃ったのに急所に当たってしまうところだろうから、この余韻のある描写には注意したい。
  • カレンダーにある陽菜の誕生日、年齢の書き込みにトリックがあって驚いた。作中口頭では逆サバを読んでいたが、よく読むと実年齢が書いてある。また気づかなかった、凄い! と思った。
  • 結末で東京が沈むのは暗い気持ちになった。個人が皆ハッピーエンドになるたびに、皆でバッドエンドに進む気持ちがした。でも陽菜や帆高の来歴なら、自分がその立場でも、そうしたんだろうなと感じた。孤独で何も持っていない自分たちを見捨てた人たちの事は、どうでもいいに決まっている。ただ、見捨てられた者が、見捨てる側にも立つということを、須賀が一度は帆高に振舞った姿に見る気がした。それは須賀が娘と亡くした妻との関係を第一に守った結果だった。
  • その上での須賀が考えを翻して帆高を逃がそうとして警官を殴ったシーン。須賀は周囲の大人の制止を振り切って結婚をした経緯があり、陽菜になんとしてでも会おうとする帆高を警察が追い詰めているのを見るうちに、帆高に過去の自分を見いだしたに違いない。