スポーツについて思うこと

  • 球技は小学校1年生の時、野球の教則ビデオを同じ幼稚園出身の友達から借りて観たとき、これをやりたい、という確信がなかった以来、きっかけがないのを理由に、打ち込むことがなかった。その習慣のせいで、以来肩の筋力はずっと弱いままになった。きっかけがないことを言い訳にしたのは、キャッチボールをする習慣が親との間になかったこと、うちの家系はスポーツが下手なんだという親の言葉を真に受けたこと、校庭を走り回るだけで運動は満足してしまったことがある。
  • 上手・下手は置いておく、生涯それを楽しめるかに、素人がスポーツに関わる真価はある。確かに、足の短い家系の子にバレエをやらせないなどあるだろう。しかし、日常生活の延長で何らかの運動はできるはずだ。体を動かし、筋力や心肺機能へ負荷をかけることによる効用は広く認知されており、義務教育に組み入れられるほどには推奨されている。それでも運動習慣のない割合が人口の中で大きいのは、運動好きが運動嫌いへの教え方を考慮せず、勝負好きが勝負嫌いへの教え方を考慮しなかったせいか。あるいは、運動を教えるその人自身に親しめなかったからか。血縁者に教えてもらってスポーツをやる人が多い、とも言えるかもしれない。
  • 運動の理論面では、本はもっと参考にされるべきだ。走り方や健康についての本はいくつも出ているが、ブルーバックスにはスポーツの科学についてのユニークな本がいくつか出ていて、人づてに聞く方法論より信頼に値するものだと思う。身近に運動について聞ける知人は少なかったが、そういうところをきっかけに、より詳しい本を借りたり買ったりすることは、知人友人に聞くのと並行してやっても趣味の取り組みとして矛盾しない。私は、母は社会人になって運動の習慣を捨て去っており、父とはスポーツの話をしなかったので、スポーツとは非常に疎遠だった。ただ、習慣的に走ることについて、父は持論を持っており、聞いたのが、腰の上に足の付け根があるイメージで走れ、ということだった。背丈は似なかったが、骨格は遺伝しているだろうから、この話は参考にした。
  • 現状、水泳が1年以上続いているが、体調などへの成果も出ているし、続けていきたい。運動をする時間帯はまだ課題だが、続ける中で習慣として落ち着けばよいと思う。
  • 球技は、一定以上下手な奴が入ると、「競」技として成り立たなくなる。自分はその種の人間だったので、球技はよほどのことがないと今後もやらないだろう。今後は球技が下手でもできるような、水泳、ジョギング、サイクリングをやって、数年内にトライアスロンに発展させたい。