翻刻『小寺残月』高瀬文淵

 底本は以下。新字新仮名。編集者が間引いたルビは著作権の配慮から抜いた。書籍の発行年の問題については、他の青空文庫掲載作品の底本と比較して、問題がないものと見た。仮に問題があるなら削除する。

 気になったのは、ドナルド・キーン『日本文学史』に、田山花袋が回想した一節を抜粋していたため。二葉亭四迷樋口一葉を推したり、花袋のよい文人仲間だったらしいが、若いころに恋愛や事業に失敗した人で他者と距離を取って貧しい生活をした人で、関羽髭に実際より老いた顔、川上眉山の自殺後は文壇から去った、評論眼はあるが文運の薄い人だったらしい。小説の才能の限界を自負していて、いくつかの短・中編しか書いていない。

明治文學全集 23 山田美妙・石橋忍月・高瀬文淵集

明治文學全集 23 山田美妙・石橋忍月・高瀬文淵集

 

               《上》

 上野の鐘が十時を報って、按摩上下の笛の音が遥の通りを流していたのは、余っ程前のことであったが、おらあ昏々と寝込んで仕舞って、夜の深けたのも知らずに居た。

 広徳院の寺男が、宵に和尚を迎えにきて、今夜檀家に不幸があるんで、お前に通夜を頼みてえが、行ってくれめえかといったときには、夕飯酒をやっていたんで、和尚大儀になったのか、何だか風を引いたようで悪気がするからと言っていたが、跡で一杯買おうからと、復寺男が迎えにきたら、遂々いっしょに行って仕舞って、おらあ寂しくて仕方がねえ。

 それはそうとおいらはまあ、こんな詰らねえことをして、何時まで此寺に居るんだろう。おらあ何処までも大工になって、死んだ老爺の跡を尋いで、立派な棟梁になる気だけれども、家父が言うことを聞かねえで、とうとう年期にも遣ってくれず、十二の春まで家へ置いて、こぎ使っていたのはいいが、碌に商売も教えねえで、ああいう訳になってしまって、こんなに困ったこたあねえんだ。

 おらあ老爺が『め組』の奴等に、あの両国の喧嘩の時に、弄り殺しに遭ったことを今に口惜しいと思っているから、どうでも一番大工になって、その仕返しをしてえんだが、そういう詰らねえことは止せ、兎角手前は老爺に似て、喧嘩っ早くていけねえが、大工にするこたあならねえといって、家父がどうしても聴かなかった。

 手前の言うこたあ違っている、仕返しなんていうことが、今の時世に出来るもんか、敵打ちあ此節ではお上の御法度だといってたが、へん、そういう当人こそ、することなすことが違ってらあ。

 家父は何だってあのような情無えことをしてくれたろうか。此節でこそおらっちゃあ、初めて家父というものが出来たが、家父が出来たときゃあおいらの家母は、もう此世には居なかった。尤も家父のあることは前から聞いてはいたんだが、顔を見たこたあ少しも無かった。それも其筈か、おいらが生れてまだ間の無かったことだそうだ。家父は家母を内へ置いて、其儘何処かへ行ってしまって、どうなったのか判らねえ。其時分にはおいらの老爺も、老婆なにかも達者でいたので、家母はそれを便りにして内で辛抱していると、一年ばかし立ってから、家父が品川にいることが判って、まあまあよかったと喜んだが、何がよいものか、とっくの昔し、家父は品川で所帯を持って、何処の馬の骨だか知れねえ若え女を嬶あにして、巫山戯た真似をして暮していたんだ。

 そういうことが内へ知れると、老爺は怒るめえことか、我子の可愛いことも知らず、この年寄った両親にいけえ苦労を掛けながら、それを何とも思わずに平気でいるような碌でなしは、活かして置くにゃあ当らねえ、おれが連れて来る、しょびいて来る、此処へ引きずって連れて来て、打って打って打ち退めして、散々っ腹なぐった上で、撲き殺してしまうといって、大変腹を立ったそうだが、近所の衆が仲へ立って、老爺をなだめてくれたので、家父も女と手を切って、内へ詫をして帰って来て、辛抱すると思ったら、其翌る朝不意と出て、そのまま姿を隠して仕舞った。

 どういう訳であのように、自家に居着いていなかったのか。老爺が余り厳いんで、居にくかったのであろうけれど、家父は家母を嫌っていたんで、それで落着いていなかたtろう。家母は嫁に来た時から酷く家父には嫌われていたが、姉やがあるんで我慢をして勉めていたということだ。

 家父は家母を出そうと思って、五年の間いじめていじめていじめ通したということだが、又々おいらが生れたので、幾らいじめても駄目だと思って、それから自家をぐれだして仕舞った。

 それ程憎い家母なら、家母の嫁に来る時に、初手から断ってしまったがいいや。それを其時は黙っていて、呼んでしまってからいじめるなんて、そんな不都合があるもんか。いじめる当人はいいだろうが、家母になっても見るがいいや。大辰さんは腕はあるし、又町内でも顔役だから、あすこへ行きゃあ間違はねえんだ。勿論息子は棟梁とは気前がちっと違っているが、何不足ねえ家だから、行って損はねえ辛抱しろと、周囲でいろいろに言われたので、其気になって来て見ると、来る匆々からああいう訳で、それじゃあ立瀬がありゃあしねえ。

 又おいらだって家父が為めには、兎に角実の子じゃあねえか。実の子ならば何ぼ何でもちったあ可愛いと思うのが、当りめえじゃああるめえか。それをおいらが出来たからって、自家を空虚にして出て行くなんざあ余んまり人が悪りいからなあ。又夫程に憎いものなら、今更手元へ置かねえで、どこかへ年期にでも遣って、大工にしてくれるのが本当であるのに、それはならねえと不承知をいって、斯ういうものにして仕舞ったのは余んまり違っているようじゃあねえか。

 おいらが為めにゃあ親だけれども、家父の仕方が間違っていたので、おいらが困るばかりでなく、先の家母は可哀そうにああいう死様をして仕舞った。又其了簡が違っていたので、死んだ老爺の跡も襲がず、折角覚えた大工を止して、商売替をして桶屋になって、挙句の果が今の始末だ。

 それもこれも自業自得で、老爺の罰が当ったのだと諦らめて見れば夫迄だが、家父も品川の所帯を仕舞ってそれから前橋に高飛びをして、又新らしく嬶を持って、立派に暮らして居った頃には、まさかに斯ういう情けねえ仕末になろうとは思やしめえ。それから又おm東京へ帰って、橋場へ家を持った時にゃあ、嬶を弟子が連れ出して、有金残らず引っ攫って、其儘夜遁げをしちまうとは決して考えちゃあいなかったろうし、酒毒中風同様になって、この駒込へ越して来て、毎日棺桶をこしれえて、それで暮しを立てようとは、夢にも思っちゃあいなかったろうさ。

 今の継母は浅草から引越す前に自家へ来たので、大層口前のいい親切な人だ。又あの和尚は寺町へ来てから出来た友達

家父と和尚とは兄弟のような大変仲のいい飲仲間であった。しかし口前のいい親切な継母が、家父が死んでから間もないのに、その飲仲間の和尚が所へ正可に嫁に来ようとは、家父も思ってはいなかったろうし、おいらまでが引っ張り込まれて、寺のお所化にされようとは、思いつかなかったに違えねえ。

 それにしても残念なのは、今のおいらの身の上だ。嗚呼思い出すと口惜いが、自家の家父が没くなってからまだ幾日にもならなかった。其日は宵に早く寝て、おいらあ何も知らずにいたが、頻りに可恐い夢を見て、何だか寝苦しくていけねえんで、目を開いて見ると継母が居ねえ。はて変だなあと頭を挙げて、二声三声呼んで見たが、何処へ行ったのか返事がねえんで、只仏壇には寂しそうに青い灯が点いていて、それが消えそうになっているが、変に心細くなって来て、寝ているこたあ出来なかった。

 そこでおいらあ戸外へ出て、家母さん、よう家母さんといいながら、泣き声を上げて呼んで見た。すると、長屋の婆さんが、細目に戸を明けて見て、捨かといった。何だといって其様に泣くんだ、家母は居ないのかと聞くから、ああ居ねえよというと、さてさて困ったお兼さんだ、平蔵さんが亡くなってからまだ三日にもならないのに、子供を一人で家へ置いてき、よくもよくも其様な巫山戯た真似が出来るもんだ、また寺だから、行って見な、構うことはねえ引きずって、家母を連れて来るがいいと、おいらの肩を持っていたが、今夜は余っ程もう遅い、どりゃ寝ようかといいながら、そのまま雨戸を立切って、もう構っちゃあいなかった。

 おらあ其事を始めて聴いて、気色がわるくてたまらなかった。そこで泣面をして捜しに行くと、成程継母は寺の和尚と暖かそうに炬燵へ這入って、注しつ抑えつして飲んでいたが、あの口前で如才なく、誰れが捨じゃあないかへといった。ああ捨吉か、まあお上りと、今にも鎔けそうな細い眼色で、何かえ、家母のお迎いかえって、へん、お迎いが聞いてあきれらあ。さあさあわたしも帰りましょう、どうもお邪魔を致しましたが、それじゃあ捨は明日からこちらへ毎朝よこしますから、何分よいように願いますと、何だか判らねえことをいって、おいらと同時に帰って来たが、その翌る朝、寺へ行ってお経を習って来なというんで、おらあ其時あ驚いちゃった。

 どういう訳かと聞いて見ると、今の継母の積りじゃあ、おれを僧侶にするんだって、其相談に行ったそうで、お経を習って来なというから、おらあどうしても厭だといった。そうさ、誰れがまた和尚なんぞにしられてなるものか。飛んでもねえことだと思ったから、厭だといった。

 お前其様な我儘を言わずに、わたしが頼むから寺へ行って、そしてお経を習っておくれよ、ね、お前はいい子だからって、いろいろ継母が勧めたけれども、おらあ大工になるだといって、継母の言うことは聞かなかったが、それから三日ばかり立って、小石川まで使に行って、夕方帰って来て見ると、継母はどっかへ越しちゃって、家は全くの空室で、おいらああきれけえってしまった。

 何処へ行ったろう、狼婆め、おれを放捨ってしまったなと、思うと心から腹が立ったなあ。おらあ口惜しくてたまらねえんで、長屋の者に聞いて見ると、大方寺だろうといっているから、此処へ来て見ると和尚が居て、京から飯を寺で食って、そうして茲へ寝泊りをして、毎日お経をおそわって、墓の掃除と、水汲みと、使歩きをするんだといった。それから継母の行先を聞くと、おっつけ此処へ来ようというんで、待っている中に継母が来て、酒が始って泊ったので、朝になったら継母と同時に自家へ帰ろうと思っていると、夜の明けぬ中帰ってしまって、おいらばかりが残されていた。

 あの継母は何処へ行ったろう、おいらの家は何処だろうと、聞いて見ても笑っていて和尚一向に教えてくれねえ。それから毎日夕方になると、いつもの通り継母が来て、明けねえ中に帰って行ってたが、そして或日の朝であった、観音経というものを始めて和尚がおいらに教えて、手前はおれの弟子だから和尚さんというんじゃない、お師匠さんといえといったが、糞ぅっ、誰れがあんな者をお師匠さんと謂うものか、今においらああいつがことをば、和尚、和尚といってらあ。和尚も流石困ってしまって、どうか人様のござる間だけでも仕方がないに依って、おっ匠さんといえというから、そうかおっ匠さんかといったら、苦笑をして黙っていたっけ。

 和尚はそれから暫くの間は、おいらを邪魔にもしなかった。朝はおいらとお経を読み、夜はかあさんと酒を飲んで、毎日御機嫌がよかったが、間もなく継母は左官屋といっしょに逃げて仕舞ったので、和尚は顔も少しは可恐いように見えた。継母が何処へ行ったにしろ、おいらの知ったことじゃあねえや。そこでおいらあ其時あ小さくなって見ていたが、和尚は気違のようになって、逃げた、逃げられた、糞婆あ、おのれどうするかと言いながら、庫裏へ来たり、本堂へ行ったり、宛然蜂にでも刺されたようだ。そうして彼地此地家中を血眼になって駈回っていたが、そうだ、あの金をといいながら、箪笥の抽出しを明けて見て、やっ大変だ、あれが無い、畜生っ、持って行きゃあがった、おのれ警察へといいながら、その儘外へ飛出して何処かへ行ってしまったが、ああいう面白いことは此処へ来てから始めてであった。

 それから和尚は三日目に茫然として帰って来たが、何処を駈回って居ったあ、足の生爪は剥がして来る

剃り立ての頭は創傷だらけで、何処へ落ちたのか法衣の裾は泥に塗れてあの通りだ。気の毒と言えば気の毒なようだが、前の期限hあどこへやらで、あの蕩けそうであった顔が、今では生れ変ったように無口な人になってしまって、へん、べらんめえ、正斎河豚が潮先にでも向やあしめえし、目を三角にして膨れて居らあ。

 おれも継母には遺棄られるし、和尚はあの通り不機嫌で、もうお経をば教えてくれず、お経を教えてくれねえのは、こっちの望む所であるが、雑巾掛や墓掃除が大層やかましくなって来て、この四五日は喧嘩面で、二言めには権突がから、もう此寺にも居られめえ。又おいらの為めに取っても、何も坊主にでもなろうじゃなしさ、こんな所に何時までも居るにゃあ当らねえんだから、早速和尚に断って、何処かへ奉公に行きてえんだが、そうかといって此儘に只駈出したからっても、世話をしてくれる者もあるめえし、斯うしていればあの和尚にどういう酷い目に逢うかも知れず、それは仕方がねえとしても、第一こんな寺に居て、若しも幽霊にでも出られた日にゃあ、おらあ仕様がねえからなあ。

 尤もおいらあ喧嘩が好きで、この寺町では誰にだって負けたこたあねえんだし、ここと橦木町との間で子供の喧嘩のあるたびに、何時でも真っ先へ進んで行って、腕を鳴らすのはおいらだから、幽霊なんぞ出たからって、引けを取ろうとは思わねえが、しかし幽霊というもなあ何だか小気味のわるいもので、いやに陰気おのだから、おらあ小便に行くときでも、真張坊を持って行くのを忘れたことあ一度もねえんだ。

 和尚はいつかおいらに言った、手前は何だって其様に臆病者に生れ付たと。おらあ臆病じゃあねえんだが、しかし幽霊というものは、おらあどうしても厭だから、化物なんぞに逢わねえ中に、成るだけ早く此処を出て何処かへ年期にでも行きてえもんだ。

 勿論和尚も言って居たのよ、おれは此寺に永く居たが、悟りを開えているんだから、決して化物を見たこたあねえと。和尚は葬いが大好きで、少し葬式が暇になると、お客が此節は無えといって、余んまりいい顔はしねえんだから、和尚が為めには幽霊が大事なお客に違えねえが、しかし厭だなあ、お客のある其前の日には何か知らん徴しがあるということで、争われないものよといって、和尚も酷く感心してらあ。

 或日のことであったそうだ。和尚が看経をしていると、形は少しも見えなかったが、すらすらという足音がして、風も無えのに線香の煙りがこちらへ靡いたので、ははあそれだなと思ったら、其夕暮れは檀家からもう其訃音があったそうだ。そうしてみれば幽霊はあるには違えねえんだが、おや何だろう本堂の方で、戸の明いたような音がした。誰れだ戸を明けたあ、和尚じゃねえか。返事をしねえ所を見ると、恐らく和尚じゃああるめえが、それにしても厭だなあ、東が白みさえすれば心配するには及ばねえが、今鳴る鐘は一時の鐘、それじゃあ是れから夜明までにはまだまだ間のあることであろう。

 

《中》

 あれ程強く吹いていた風も何時からともなく吹きやんで、向の壁に映っていた笹の動きも静かになった。戸の隙間から今までは微かな光をここへ洩らして、枕を照らしていたのであるが、嗚呼もう月も入えるのか、障子に映る松の葉も追々薄くなってきた。

 若しも斯ういう寂しい時に、幽霊にでも出られたら、おらあ本当にこまっちまうが、や、本堂の方で又何だかがさりというような音がしたぞ。事に寄ったら蝙蝠が巫山戯ているのかも知れねえが、そうではなくて若し万一何か来たんじゃああるめえか。亡者が寺へ来たときは、人も居ねえのに本堂の鐘が鳴ることがあるそうだが、若しも鳴ったらばどうしよう。嗚呼嗚呼、心細いことだ。生憎和尚は寺に居ずさ、おいらばかりじゃあ仕方がねえが、今夜だけでも其鐘の鳴らねえようにしてえもんだな。

 一体亡者というもなあ、まあどのようなものだろう。この先きの寺の西福寺では、丑満時という頃には、井の中から女が出て、車を手繰る音がしてどうにも仕方がねえというが、余んまり今の住職が妾をいじめたもんだから、井戸へ飛込んで死んでしまった。その怨霊が今以て祟りをしているということだが、や、何だろう、遠くの方で赤子の泣くような声がすらあ。いや赤子ではなかったのか、そうか、今のは猫の声か。

 猫といやあ、勝手元に鮪の切身があるんだから、あれを捕られねえにしろって、和尚が行く時に吩咐けてったが、や、仕舞うのを忘れていた。灯火があると見に行くけれど、マッチは何処にあるかも知れずさ、まさか明日の朝までに捕られることもなかろうから、あのまま放擲っておくことにしようが、それはそうと、広徳寺へは今夜の仏が今時分さだめし来ているに違えねえな。仏といえば今夜のは橦木町だといったなあ。そうだ、寺男が和尚に言うにゃあ、通夜は坂本屋だといってたが、そして坂本屋の誰れだろう。

 あの質屋には年寄った婆あさんが一人あるんだが、昨日途中で逢ったから、正可に今夜のはあの人ではあるめえ。主人夫婦はなかなか達者で、急にごねりそうな代ものじゃあなし、子僧の長松でもなければ、あの番頭の禿でもなかろう。そうして見れば外にはねえから、倅の清太郎かも知れないな。そうだ、あいつはおいらの敵手で、達者な中には寺町へよく先方からも喧嘩に来たが、やつが病気になったのは余っ程久しい前だなあ。いつであったろう、やつが頭をおいらが万燈で打欠いてやったのは。ありゃあ去年の盆前で、神明様の祭りの時だから、彼是れ一年にもなろうかなあ。やつあそれから何度も何度も其仕返しに来やがったが、橦木町が勝ったこたあ恐らく是迄無かったえ、やつあ大変に怨みに思って其事ばかり言ってたそうだ。

 其後病気で引っ込んでからは、奴とおいらと碌々に顔を合わせたこたあねえが、この正月だ、梅の湯で奴と久々で逢った時あ、おらあ気の毒に思ったなあ。そうだ、あの時あ日の暮れ方で、薄暗がりであったから、おらあ一向に気がつかねえや。どうする機会であったのか、上り湯の方をちょっと見ると、其処に居たのが清太郎で、おらあ本当に慄然としたっけ。何故驚いた、驚かなくてさ、もとは大層気の強い、威勢のよかった奴であったが、それが火箸のような手つきで、さもさも息が切れそうで、岡湯を汲んで居りながら、じっとおいらを見ていたが、髪は抜けるし眼は凹むし、色青ざめた塩梅はどう見直しても骸骨だ。

 おらあ気の毒であったから、格別わりい顔もせず、間がよかったら岡湯の一つも汲んでやろうかと思ったのに、先きでは何処までもおらっちを馬鹿にしているような様子で、金持風を吹かせているから、睨合いで別れたが、ああもう奴もごねってしまって、はや手も足も太刀やあしねえや。あんなに早くごねるなら、頭を打っ欠くにゃあ当らなかった。止せばよかったとも思うが、一体あいつあ生意気な奴で、高慢貌をしやがって、貧乏人を馬鹿にするから、おれが時々一本ずつお見舞え申して置かねえと、世間一統の難儀になるから、たまさか痛しめてやったのよ。そうしておいらから見ると、歳も二つか一つ多しさ、何いじめたという訳でもねえから、少しもわりいことじゃあねえが、しかしあいつもごねったからにゃあ、もう仕返しにも来られめえ。

 いや、そうでねえ、来ねえもんか。是れから奴が仕返しに来れば来ようという時なので、事に依ったら今夜あたり、ここへ来るかも知れねえぞ。

 そうだ、今夜あたり来るかも知れねえ。広徳院へ行かねえで、直に亡者が来るとすれば、さあ大変なことになるが、おらあ本当に困っちまうなあ。長えわづれえであったから、さだめし爪も生えたであろうが、痩せ衰えた手を出して、あの青ざめた顔をして、おいらの傍へ摩り寄って、若し清太郎が現れたら、おらあ何様したらいいんだろう。あっ、何だろう、勝手元を気味のわるい音をさせて、ばりばり明けている者があるし、さあ斯うしちゃあ居られねえぞ。

 

《下》

 ゆうべ一夜は恐ろしきに、とうとう眠らずに仕舞ったが、微かに鶏の鳴くのを聞けば、もう夜の明けるには間も無かろう。慈恩寺のおつとめも始ったようだ。何処の製造場か知らねえが、工場の汽笛があちこちで聞えるようになったので、ああおう可恐えことはねえが、家父よ、お前の了簡が違って居ったばかりで、跡に残ったこのおれは、斯ういう酷え目に遭って困っていようじゃあねえか。

 親に向ってそういうことを言うのは済まねえかも知れねえ。又是れまでは面と向って、お前に行ったこたあねえが、今も困っていうように、先の家母の所にいて育てられた其頃に、どれだけおいらが皆して生計に困って居ったのが、それを委しく知って居るか。

 家父よ、お前が自家を明けて影を隠してしまってからは、死んだ家母はどの位跡で困ったか判りゃあしねえ。それから力にして居った老爺は喧嘩の晴れの場で、ああいう最期を遂げてしまい、続いて老婆も亡くなったので、おいらの内は一時に灯火が消えたようであった。

 知っての通りおらの家は、別に貯蓄というものが、もとから無えんだろうじゃあないか。ところを向両国では、男を買っていた老爺だから、交際というもなあ随分広しさ、まあ恥かしく無えように二つも弔いを出して見ると、すぐに今日に困る訳で、さあそれからが本当のみじめだ。

 思出すと悲しくなるが、家父よ、お前に逢ったのは、暮れの浅草の市であったが、お前は大分いい機嫌で、嬶や下女や弟子を連れて、立派な装をして通んなすった。お前は働らきもんであるから、ああいう真似もしたんだろうが、歳の市へおらっちがあの銅網を売りに出るには、どういう工面をして行ったか、お前其時のことを知っているか。お前は察しのいい人だから、定めし知っても居たであろうが、家父よ、おらっちやああの朝は碌に食うものも無かった位で、お米を買うと銅網を仕入れる元手が足らなくなるし、市へ出なけりゃあ正月を迎えることが出来ねえので、着てる物まで曲げてしまって、そして家母と三人であすこへ店を出して居たのだ。それをお前はどういう積りで、見ねえ振りをしてあの前を無理に通ろうとしなすったのか。お前は立派な装をしておいらの店先を通ったが、お前の目には窶れ果てた母子三人のあの姿が少しも不憫ではなかったのだろう。おらあそれとは知らなかったが、捨や、あの人がお前達の男親だと家母に言われて、おらあ子供の頑是なさに、お前の所へ飛んで行って、袂に縋ったのであるが、あああの時の嬉しさと、その悲しさはどれ程であったか、家父よ、お前には判りゃあしまい。判っていたなら男らしゅう截然言って見るがいいが、家父よ、お前というもなあ、まあ本当に酷え人で、何故あの晩におらっちを騙してすぽかしをくわせなすった。

 お前は明日迎えをやって、子供を引取るといったじゃねえか。それでありながら約束通り何故迎いをばよこさずに、其儘投遣って置いたろう。お前が投遣って置いたばかりで、先の家母はあの通り非業な死様をしたじゃあねえか。わたしが生きて居なかったら、子供二人は満足に何不自由なく育つであろうに、わたしが斯うしている為めに、夫の心が折れないだろう、わたしは覚悟を致しましたと、あの書置きにあったそうだが、暮の二十五日というのに、家母の死骸は両国の百本杭から揚げられた。

 非業と言おうか、無残と言おうか、凡不仕合なものといっても、先の家母程世の中に不仕合なものはねえのだが、それもこれも家父がお庇で、家父さえ薄情でなかったら、ああいう訳にはなりゃあしめえし、又家母さえ達者でいたなら、おいらも今まで此様に苦労せずとも済んだであろう。

 それから思うと先の家母は全く犬死をしたのであるが、家母や、お前はなぜ一言あの時おいらに了簡を少しも話して呉れなんだろうか。斯ういう訳で死ぬからと、たった一言いってくれたら、今の悲みもなかったろうに、お前が没くなったばかりで、姉やは家父が病気の時、三百円で静岡へ茶焙じとかに売られて仕舞うし、そうしておいらは今になって行き所にさえ困っているのだ。お前はまさか此様においら二人がなろうとは夢にも知らなかったであろうが、家母が居ねえばっかりで、おいらあ此処でどの位難儀をするか知れやしない。

 そうはいうもののなあ家母や、時世時節とういもので、これも仕方が無えんだろうから、おらあ疾うからあきらめてるよ。又此寺にも今日ぎりで、もう何時までも居ねえから、どうか是れからは心配せずに家母も安心をしてくれるがいい。雨が降れば屋根は漏るし、風が吹けば壁は落ちるし、雨戸というも名ばかりで、こわれ次第になっているし、あの本堂へは蝙蝠だの又狸だの幽霊だのが引っ切りなしに来るんだもの、何時まで此処に居られるものか。ああもう寺には懲々だ。夜が明けたなら早速に此処を出て行く外はねえが、薬研堀の大金は死んだ老爺とは兄弟分の仲だとおらあ聞いているから、そこを便って行って見よう。又大金でさえ置いてくれれば、今においらは棟梁になって、そうして静岡の精花楼という茶焙じをする家へ行って、姉やを東京へ連れて来ようし、家母が墓も立派なのも立ててやろうと思うんだが、若し大金が知れなかったら、おらあどうしたらいいんだろう。

 本所三つ目には源兵衛という家父が懇意な人があったか、今もあすこに居ようかしらん。おいらが極うく小さなときに、内に政という弟子があって、老爺の気に入りであったのだが、此頃何処に行っていようか。斯ういう時に知り人が少しはあるとおらの為めにも大層気丈夫になるんだけれど、更にそういう人がねえので、嗚呼何となく心細い。

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 お看経やら題目やら、一時に諸方が賑やかになって、夜も白々と明離れた。それじゃあおいらも顔を洗って、出掛ける支度に掛かるとしようが、朝晩是迄眺めあきたあの吉祥寺の高い森も、浄光院の紅い塔も久しい馴染であったのだが、この寺町を立つが最期、嗚呼もう暫くは遭われやしめえ。