近松秋江『別れたる妻に送る手紙』感想

www.aozora.gr.jp

 本作品のあらすじは少しねじれている。雪岡という稼ぎの少ない文学者に対していつか暮らし向きが良くなるだろうと我慢をしていた妻のお雪が別居して、彼女への手紙の書き出しから始まる。しかし、お宮という嘘で塗り固められた娼婦に入れ込んでしまう雪岡の本気で入れ込む描写がいつのまにか筋になってしまう。著者の年表や全集の解説を見ると、4年前に同棲解消した大貫ますという妻との実話がモデルになっているようだ。妻の立場から見て同棲が始まったのがさらにその6年前、あと4年我慢しろと言われても、この作品によって自然主義作家として名声が確立するのを待とうとは思うまい。
  娼婦お宮の雪岡に対する、来歴を偽っていかにも真実味のある話しぶり、話の破綻からうまく注意をそらすリアクションは、最も巧妙に書き込まれている。雪岡もうまいこと気に入られようと策を弄するが、やりこめられてしまうのとも対比になっている。この娼婦への入れ込みは深刻で、著者秋江のモデルどおりだったならば、目先の金銭だけでなく、文学生命における危機でもあったはずだ。何よりも大切な丸善で買った海外各国の詩人・批評家の日記や自叙伝などを「お宮の顔を見る為に、それも売って惜しくないように」なるところまで行ってしまう。ここでそれらの本をしみじみと眺めたのち、別れた妻の今によくなる、というのが何だかわからなくなって、「私は一度は手を振上げてその本に「何だ、馬鹿野郎!」と、拳固を入れた。これども果たして書籍に入れたのやら、それとも私自身に入れたのやら、分らなくなった。」という心の動きがなければ、そのまま惜しくない気持ちで、売っ払っていたことだろう。

 正宗白鳥がモデルとなっている友人の長田もわざわざ同じ女を抱いたと言う話を持ち出して高らかに笑うような下衆な人物として表現されているが、それによって雪岡が娼婦との思い出を大切にしておこうという信念を捨て、強がって面白おかしくその話をするようになる。ここから、本気で娼婦に入れ込んでいたことに対して雪岡自身が客観的な立場を取る兆しが見える。このラストシーンまで読んで展開を振り返ってみると、長田は雪岡の噂を聞きつけ、原稿料の前借りをはねつけたときからこの結末まで、早く目を醒ませ、とメッセージを送り続けていることが明らかになる。この強い結末は手紙の書き出しに対応する文末のまとめ方では達成し得ないように思う。逆に最初から客観的に雪岡の描写をしてしまうと、秋江の生活のどん底スタートになってしまうので、読み手にも書き手にもつらいと思われる。