『日本人の死生観』感想

 

日本人の死生観〈上〉 (1977年) (岩波新書)

日本人の死生観〈上〉 (1977年) (岩波新書)

 

 

日本人の死生観 下 (岩波新書 黄版 16)

日本人の死生観 下 (岩波新書 黄版 16)

 

 

内容

 イエール大学での講義を土台に、日米の学者がまとめた作品。明治維新から第二次世界大戦前後に至る六人の典型的人物の生と死に対する態度の分析を通して、日本人の死生観と価値意識の構造を描く。乃木希典森鴎外中江兆民河上肇正宗白鳥三島由紀夫をとりあげる。

方法論

 本書で著者らは、死と生の継続のモデル/パラダイムのもと、分析する。つまり、これまでのフロイト・ランクいずれの伝統によっても心理学的な思考において死と生は同一視されるか、想像できないものとして無視されるかであり「概念」としては無視され続けていたが、ここでは死と生の継続的な関係を弁証法的に指摘していこう、という。その接近法は、①歴史的諸問題への心理学的方法のひとつ、エリック・H・エリクソンの流れをくむ歴史上の偉人をモデルとするもの、②著者のひとりリフトンが発展させた、重要な歴史的経験を共通に生きた人々のグループに対する心理学的調査 である。前者の方法で分析した6人について、後者の方法を当てはめて、歴史的潮流、文化のパターン、普遍的な精神生物学的要素の3つの水準から、個人を集団に結びつけ、立体的な起伏・陰影を見いだすことができるという。
 生きるための戦いを共有しているのはすべての生物に言えることだが、生命感をもってそれを拡大したい衝動は人間に固有のもので、人間は、近接的に今生きている感覚と、究極的に永遠に生き続ける感覚を、同時に求める戦いをしている。究極的・象徴的な不死は単なる死の否定ではなく(否定や麻痺が欠如していることは少ないが)、有限な個人の死を、前後のものとの間で継続的・象徴的な関係をうちたてたい、という要求である、と著者はみなす。不死感の類型は、生物学的(および文化的)、神学的(日本で言えば八百万の「可畏きもの」)、創造的(芸術や科学など「仕事」をつうじての)、自然的態様(神羅万象へ還る)、特殊な態様としての経験的超越(没我・トリップ)に分類できる。近接的な死の観念は、①結合しているものが分離する、②統合されたものが崩壊する、③運動していたものが停滞する、3つの対立した概念として、幼少期からイメージとして形づけられる。青年期にそれら死の不安との葛藤をして、壮年になると死が必然のものとして受け入れられ、老年になると昔を懐かしみ、個人の生の前後にある結合、統合、運動として意義が見いだせるかの審判を行う。本書に紹介がある偉人においてそれは顕著である。
 日本で自殺は特殊な重要性がある。自殺の定義は、死のイメージに直面して生を維持する上で、メカニズムに起った破綻から生じる自己破壊行為である。個人より集団が重要という考え方が続いてきたことが、今日の日本でも自殺が立派な行為として一層広く受け入れられている原因になっている。
 自殺に限らず、あらゆる形態の死は「生き残り」に対して強い心理的衝撃を与える。生き残った者を特徴づける心理の型は、①ぬぐいがたい死のイメージと死の不安、②死んだ彼らに対する私の生への疑念、③環境との象徴的な結びつきの崩壊に伴う、感覚的な麻痺、④生存者が互いに助けの手を差し伸べるときに、内的な弱さを見せることに反発して、疑心や不信などをいだく「死の汚れ」、⑤上記4つを包含する、社会が急速に変化して生活様式が「ほろびつつある」中、生き残っていく「内的なかたち、またはかたちの表現にむかう努力であり、死との出会いの意義と、残されている生の経験の意義の探求」の5つに累計される。日本史上の過渡期に、異なる文化の対決があったことを念頭に、6人が外的モデルに出会った時の内的経験を調査し、西洋との対決において無数の困難と闘っている他の国々にも適用可能な経験の型を発見しようとした。

感想

 序章に示された方法論によって死に近づいていく日本人たちの描写が鮮明になっている。切腹は自然に逆らって共同体の原理に殉ずる行為であり、現代から見て時代遅れの行為だと思っていたが、乃木も三島も共同体を純粋に礼賛して愚かな自死を選んでいるのではなくて、文化的な連続性の中に位置づけられて、赦されようという、むしろ個人的な観念に基づいてほとんど狂わずに死んだというのが分かって感心した。切腹も老衰も物理的には、生体を構成する細胞が動的平衡を欠いて(方法論が言うところの)停止・分解・崩壊し、微生物の餌となってゆく、視覚的には醜いものである(空海か誰かもそういう言葉を残していたと思うので後で確認したい)。しかし死にゆく人の主観に入り込んで描かれる本書における人の死は説得力があって、物理的には人の総体が無に帰するのとは異なり虚無的ではない。歴史の中に位置づけられた彼らの死は迫真性があってむしろ美しい。

 

 乃木希典は維新のときに肉親を捨てた罪悪感や戦争で連隊旗を失った罪、息子を戦線で失う喪失感、軍とメディアが作り出した虚像との自意識のギャップなど、名誉のうちに死にたいと考える十分な素地があったことがよくわかる。しかし、日露戦争後に教育界に飛ばされたのは、日露戦争での無駄死にを増やした指揮が軍内部では評価が低かったのだろう。乃木の拙い戦略も神格化して、精神力があればなんとでもなる馬鹿な風潮を助長したのは悲しい歴史だと思う。旧軍の組織の失敗についての議論は、オリンピックに関する近日の行政を想起させる。

 森鴎外はドイツ語を流暢に話し、西欧文明から医者、軍人、文学者としての影響を受けながら、儒者で医者の家系の長男としての義務に殉ずる人生を送ったとあるが、睡眠時間を短くして、軍で働きながら並行して執筆を晩年までやっていたらしく、なんにでも折り合いをつけて猛烈に働けるバケモノが居たものだと思った。どうりで他の作家と違って弟子がいない。自らの結核による死の直前まで精力的な創作活動をしていた晩年の鴎外の心中は、他に例を思いつかないので推し量れない。海外の文学者の伝記にでもあたってみたい。

 東洋のルソー中江兆民マルクス経済学者河上肇は置いておくとして、正宗白鳥もまた、こんなニヒルな感性をもつ作家が明治から戦後まで生きていたのかと、人格の異質さで印象に残った。自然主義文学者としての作家活動、新聞社勤め、戯曲や評論も書いて50年文壇にいて、友人たちを葬式で見送りながら、その間、戦時中は文筆活動は行わなかったり、空襲で家を焼かれたり、戦後夫婦で海外旅行に行ったりした。また、キリスト教から一度離れて死の直前に再度帰依したが、聖書は座右の書で、批評の中に批判的にしても引用することがよくあったらしい。こうした雑多な来歴の中でふらついた死生観を持っている一方で白鳥は明晰な文体を持っており、現代日本人の信教に依らない死生観に関して、6人の中では一番参考になりそうだ。

 三島由紀夫は、若いころの異質な体験からくる悩みや思想が死生観を形作った、その経緯に関する記述が参考になった。今までは、自衛隊の基地で政治的メッセージを発して腹切って死ぬなど胡散臭くて読んでいてなんか引っかかる、という印象だった。文体の難読さについては、日本浪曼派の影響を受けた美しさを追求した文体だ、という説明があって少し納得した。